とば屋酢店 非公開の土蔵を一部お見せします
宝永7年(1710年)に創業後、福井県小浜市で300年以上、酢造りを続けてきたとば屋酢店の土蔵には、その歴史の一部を教えてくれる品々が眠っています。文化財となる貴重な資料もあるため、実際にご案内することはできませんが、写真と動画で皆さまに蔵の中を詳しくご紹介したいと思います。
とば屋酢店は、質屋町(現酒井区)にあった
とば屋のあった通りは、小浜中組の質屋町です。現在の酒井区にあたる場所で、経済力のある商家が集まる中心市街地でした。小浜藩主酒井家の名を冠する地区であることからも、重要な地域だったことが伺えます。近くには、火事の被害軽減のために、人工でつくられた「堀川」があり、その川に沿って多くの蔵が立ち並んでいました。
昭和30年代の小浜の空中写真の様子を見ると、堀川がよくわかりますね。堀川は1984年に埋め立てられました。
昔はとにかく、火事が多く、とば屋酢店も、何度も被災し、復興を繰り返してきました。多くの資料は燃えてしまいましたが、とば屋の蔵にある古文書の由緒に、当時の苦労が記録されています。
小浜の町家は、間口が狭く、奥行きが長い「ウナギの寝床」のような、京町家に似た構造をしています。とば屋の蔵も、間口となる主屋を抜けた先にあります。
とば屋酢店が以前酒井区で酢造りをしていた時も、土蔵やレンガ造りの蔵が複数あり、そのうち三つの土蔵の蔵でに、今も使っている壺を埋め込み、お酢造りをしていました。現在の酢造りは、この土蔵の蔵で酢造りをしていた方法をそのまま継承しています。
蔵の入り口
土蔵の入口です。火災から家財を守るための重厚な石造りの扉が待ち構えていました。
扉の上には、とば屋の商標であるマルトリが刻まれています。
入口付近には、陶器製の大樽がたくさん積み上げられています。酢を入れて栓をして、横積みにしていたようです。縄が緩衝材の役割を果たしています。主に船荷として運ばれたのではないかと思います。もしかすると、北前船にもこの樽で載せられていたのかもしれませんね。樽には紙の札が付けられているものもあります。ほとんどがボロボロになっていますが、中には文字が読める状態のものもありました。
登録商標のマルトリと、醸造元 中野司郎右衛門の名前が書かれています。英語の表記もあるということは、船で輸出もされていたのでしょうか。酢業をはじめた5代目の中野治郎右衛門の名を代々継いできましたが、字が違うのはなぜでしょう…。
蔵の中
蔵に入ると、使わなくなった道具類が所狭しと置いてあります。
とば屋の酢造りの象徴である壺です。この壺で静置発酵させます。ひとつひとつ形が違います。これらの壺はいつ、どこで作ってもらったかは詳しくわかっています。形に違いがあるのは、時代に応じて壺を増やしていったのではないかと考えています。先代が生まれたころにはすでに蔵の中で使用されていたものばかりなので、少なくとも大正や明治時代、江戸時代に造られたものかもしれません。
こちらは酢もろみの搾り用の槽です。槽搾り(ふねしぼり)という方法で、お酒などにも使われています。中は竹で仕切られており、100年以上使っていました。最近、引退した子です。
床にたくさん並んでいるのは、お客様用の持ち帰り瓶(通い徳利)です。昔は瓶やプラスチック容器はありませんでしたので、お客様に容器を持ってきていただいて、中に酢を注いで持ち帰っていただく、いわゆる量り売りの運用でした。お客様ごとに番号が書かれており、その番号が帳簿の番号に一致していたというわけです。
そして、こちらがその帳簿である大福帳です。日々の売買の勘定を記入した元帳になります。
時代、時代の得意先の変遷や歴史の一端を読み解くことができます。小鯛ささ漬けの文化調査の際は、細かく調べていただき、ささ漬け発祥の年月の推定に役立てていただきました。
大口注文のお客様には、さらに大きい専用瓶がありました。こちらは寶味醂さんの専用瓶です。寶味醂は、今の宝酒造さんのことでしょうか。このようなところからも、当時のつながりを読み取ることができます。
当時のラベルもきれいな状態でいくつか残っていました。とてもオシャレですよね。額縁に入れて、店舗に飾ってもいいですね。
最後にギャラリーのような感じで写真をたくさん載せます。連綿とつながってきた歴史を少しでも感じていただけたら嬉しいです。
【参考文献】
町の成り立ち | 小浜と町家と暮らし
旧町名は語る(四) | 御菓子処 井上耕養庵
小浜西組の建造物
中野 貴之
酢醸造家/(株)とば屋酢店 第13代目
「お酢のことならなんでもご相談ください」がモットー。お客様に「また使いたいと思っていただけるお酢」をお届けできるよう社員と力を合わせて精進中。セミナー講師も時々お引き受けします。